(2018年5月号より)
2017年夏から始まったビルマ政府軍によるロヒンギャへの迫害は 残虐かつ非人道的で、村々は焼かれ、大勢が銃殺された。 襲撃を逃れた数十万のロヒンギャが隣国バングラデシュへ 逃げ出したが、過酷な行程や飢えが彼らの命をさらに追い込んでいく。 国際社会が批判する中、最悪の「民族浄化」が今も続いている。

文・写真/ポーラ・ブロンスタイン
Photo and Text by Paula BRONSTEIN / Getty Images
DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2018 2位

ビルマ政府軍の掃討作戦で村を追われたロヒンギャたちは、なだれを打つようにバングラデシュに逃げ込んだ。水田のあぜ道を、列をなして進む難民たち。ビルマ政府軍による攻撃が始まって4か月が経っても、列は続く。パロンカリ、バングラデシュ。2017年12月11日。Photo by Paula BRONSTEIN / Getty ImagesDAYS JAPAN International Photojournalism Awards Second Prize
ビルマ政府軍の掃討作戦で村を追われたロヒンギャたちは、なだれを打つようにバングラデシュに逃げ込んだ。水田のあぜ道を、列をなして進む難民たち。ビルマ政府軍による攻撃が始まって4か月が経っても、列は続く。パロンカリ、バングラデシュ。2017年12月11日。Photo by Paula BRONSTEIN / Getty ImagesDAYS JAPAN International Photojournalism Awards Second Prize

国籍も与えられない人々

ビルマ政府軍によるロヒンギャへの迫害が終わらない。
世界保健機関(WHO)によると、ビルマ軍の襲撃を受けて、ビルマから隣国バングラデシュに逃れたロヒンギャは、昨年8月以降だけで67万人を超えるという。  ビルマに住んでいるロヒンギャは大半がイスラム教徒で、その数は100万人以上といわれる。彼らは自分たちを1000年以上も前からビルマ西部ラカイン州に住んでいると主張しているが、仏教徒が圧倒的多数を占めるこの国で彼らに対する憎悪は根深く、多くの争いが繰り返されてきた。ビルマ政府は彼らを、バングラデシュから逃げ込んできた不法移民とみなし、36年前にさまざまな権利や自由を制限した。今も政府は、ロヒンギャに対して国籍すら与えていない。
昨年8月21日、ラカイン州西部で、ロヒンギャの武装組織アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)が、国境にある政府軍の基地と、周辺の30か所の警察を急襲した。この急襲でARSAのメンバー59人とビルマ軍の兵士12人が死亡。大きな事件だった。そしてこれを契機に、ビルマ軍による残虐な「ロヒンギャ掃討作戦」が始まった。村々は焼き討ちにあい、男性たちは殺され、女性や少女はレイプされ、赤ん坊は炎に投げ込まれた。ロヒンギャはなだれを打つように逃げ出し、バングラデシュとの国境へと向かった。家族とはぐれた子どももたくさんいた。そんな中で、人身売買の業者も暗躍した。

バングラデシュ南端のクツゥパロン難民キャンプ。数か月前は、収容人数は3万人余だったが、2018年1月には近隣のキャンプと次々と合体して60万人以上になった。今や世界最大の難民キャンプだ。クツゥパロン難民キャンプ、バングラデッシュ。2017年12月11日
バングラデシュ南端のクツゥパロン難民キャンプ。数か月前は、収容人数は3万人余だったが、2018年1月には近隣のキャンプと次々と合体して60万人以上になった。今や世界最大の難民キャンプだ。クツゥパロン難民キャンプ、バングラデッシュ。2017年12月11日

国境を越えるために、彼らは舟を利用したが、転覆してしまった舟も少なくなかった。バングラデシュ南端の海辺では、100人のロヒンギャを乗せた舟が荒波で転覆。生き残ったのは17人だけで、残る女性と子どもたちは行方不明になったり、死亡したりした。5人の子どもを一度に亡くし、泣き崩れる女性もいた。眠るような女性の遺体も流れ着いた。
難民キャンプにたどりついた人々は、口々に政府軍による焼き討ちや虐殺を語った。そのなかに、腕の付け根に痛々しい傷跡のある少女がいた。彼女は母親が殺され、自分も銃弾を何発か受けたが、祖母と逃げてきたという。

太陽が照りつける中、田んぼの泥道で泣いているロヒンギャ難民の少女。ここにたどり着くまでに、ほとんど睡眠を取らずに何日も歩き続けた。パロンカリ、バングラデシュ。2017年10月16日
太陽が照りつける中、田んぼの泥道で泣いているロヒンギャ難民の少女。ここにたどり着くまでに、ほとんど睡眠を取らずに何日も歩き続けた。パロンカリ、バングラデシュ。2017年10月16日
腕に傷跡が残る11歳のアジダ・ベグムは、ビルマの村から逃げる時、ビルマ軍に腕と足を撃たれた。彼女の母親はその時に撃たれて亡くなった。、バングラデシュ。2017年10月10日
腕に傷跡が残る11歳のアジダ・ベグムは、ビルマの村から逃げる時、ビルマ軍に腕と足を撃たれた。彼女の母親はその時に撃たれて亡くなった。、バングラデシュ。2017年10月10日

これらの話は国連や人権団体をはじめ、国際的なメディアによって世界中に報道された。しかし、ノーベル平和賞の受賞者で、ビルマの国家顧問でもあるアウン・サン・スー・チー氏は、これらの残虐行為を非難しないどころか擁護した。ほかのノーベル平和賞受賞者や宗教的指導者、政治家が相次いで非難声明を出したが、彼女はそれにも応じていない。その後、ロヒンギャの帰還がバングラデシュとビルマで話し合われ、合意に達したはずだったが、ビルマは帰還を延期し、そのままだ。
今回のロヒンギャへの虐殺や迫害は、典型的な「民族浄化」にほかならない。まさに、人道に対する罪悪だ。(構成・翻訳/野口みどり)

 

前日に近くの海でロヒンギャ難民百人を乗せた舟が荒波にあって転覆し、数多くの赤ん坊や子どもが死んだ。葬儀の前に、体を洗うために女性が子どもを連れていく。イナニビーチ、バングラデッシュ。 2017年9月29日
前日に近くの海でロヒンギャ難民百人を乗せた舟が荒波にあって転覆し、数多くの赤ん坊や子どもが死んだ。葬儀の前に、体を洗うために女性が子どもを連れていく。イナニビーチ、バングラデッシュ。 2017年9月29日

*おことわり:DAYS JAPANでは、民主化運動を制圧したビルマ軍政が変更した英語名称「ミャンマー」ではなく「ビルマ」表記としています。

◉関連記事
DAYSフォトジャーナリズム大賞2018受賞者一覧