ネパール大地震
撮影:ダニエル・ベレフラク

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2015年4月25日正午直前、マグニチュード7.9の大地震がネパールを直撃し、8900人以上が命を落とし、21000人以上が負傷し、280万人以上が家を失った。カトマンズから東に13キロのバクタプル市(別名バドガオン)も大きな被害をだし、観光客で賑わっていた由緒ある古都も見るも無残に破壊された。市街地では倒壊した家から人々が、身の回りの物を取り出すのに躍起になっていた。

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地震の4日後、バクタプル市ではレスキュー隊が犠牲になった男性の遺体を、瓦礫となった彼の家から運び出そうとしている。

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地震から2週間後、ゴルカ地方の山奥のグンダ村。医療チームと救援物資載せたヘリコプターを下で待つ村人。
震源地はカトマンズの北西80キロのゴルカ地方。カトマンズとポカラの間にあり、トレッキングでも有名なエリアだ。この地方では建物の90パーセントが倒壊した。

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2015年4月25日正午直前、マグニチュード7.9の大地震がネパールを直撃し、8900人以上が命を落とし、21000人以上が負傷し、280万人以上が家を失った。地震から13日後のグムダ村。行方不明になっていた3歳のレジナ・グルンの遺体が自宅の瓦礫の中で発見され、泣き崩れる母親。その日、小さな少女の遺体は隣人たちによって倒壊した家の玄関先で発見された。13日間に及んだ捜索活動に終止符が打たれた。

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地震から4日後のバクタプル市。倒壊した家々から家財を探し集める住民たち。数々の王朝が栄え、「中世そのまま」と言われた市街は、今は見る影もない。

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地震から1週間後、震源地のあるゴルカ地方のマナスル山麓のフィリン村で、高齢の女性が、インド軍のヘリコプターに治療のために乗せられる。地震で落ちてきた瓦礫によって負傷した。この急斜面にある辺鄙な村で、インド軍とネパール軍が合同で救援活動にあたっていた。

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地震から10日後、震源地にあたるゴルカ地方のバルパック村。自宅の廃墟から取り出したベッドに腰掛けて、茫然とする少女。この村では1475戸の家屋のうち1200戸が倒壊し、150人が重傷を負い、69人が死亡した。

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地震から1週間後、 カトマンズ北部のヌワコット地方の山の斜面に並ぶ、倒壊した家々。ヘリコプターが着陸する場所のない山岳地帯での救援救護活動は困難を極める。ここでもインド軍とネパール軍が合同で救援保護活動にあたった。

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地震から1週間後、ゴルカ地方のフィリン村で、インド軍のヘリコプターに救出された高齢の女性が、機内で村人たちに囲まれて横になる。

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地震から11日後、震源地のバルパック村で、村人たちが倒壊した家の瓦礫をかき分けて、使えそうなものを探している。

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地震から10日後、震源地のバルパック村で、プル・バハダール・グルン(26歳)の遺体が、頭部が切断され半身が埋まった状態で発見された。村人たちによると、彼は地震発生時に床屋で散髪してもらっていたという。彼の遺体はネパール軍兵士によって掘り出された。

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震源地のバルパック村で。散髪中に死んでしまった息子プル・バハダール・グルン(26歳)の死を、嘆き悲しむ母親のサアインリ・グルン。家族や近隣の女性たちが取り囲み、必死で慰めている。

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地震から18日後、カトマンズ市内。その日、マグニチュード7.3の余震が起き、さらなる余震を恐れてバス停留所で夜を過ごす人々。むずかる幼い娘を心配そうに見つめる母親の姿もあった。

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地震から17日後、カトマンズ市内。地震で大きな打撃を受けた、中心部のダルバール広場を行く人々。

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地震から3日後、カトマンズのバグマティ川のほとりにあるパシュパティナート寺院。市内の火葬場としてよく知られている。犠牲者を安置した薪の山から、炎がいくつもあがっている。