もはや、ビルマ国内のどこにもロヒンギャのための居場所も安全もない。 隣国目指して逃げ出したロヒンギャは、 あまりに過酷な道中で、次々と命と希望を失っていく。
写真・文/オズゲ・エリフ・キジル
Photo and Text by Ozge ELIF KIZIL/Anadolu Agency/DAYS国際フォトジャーナリズム大賞2018 第3位

バングラデシュとビルマの国境を舟で越え、浜辺に着いて安堵のあまり泣き出す少女と親類の女性。何百、何千というロヒンギャの人々が、毎日、こうして国境を越えた。写真はすべてコックス・バザール、バングラデシュ。2017年9月29日
バングラデシュとビルマの国境を舟で越え、浜辺に着いて安堵のあまり泣き出す少女と親類の女性。何百、何千というロヒンギャの人々が、毎日、こうして国境を越えた。写真はすべてコックス・バザール、バングラデシュ。2017年9月29日

世界から見放され、ひたすら逃げる。

2017年8月21日に、ロヒンギャの反政府軍がビルマの治安部隊を攻撃したその4日後、ビルマ政府軍は仕返しのようにロヒンギャへの軍事作戦の火蓋を切った。それはかつてなかったような、きわめて熾烈で残虐な攻撃だった。政府軍は何百、何千というロヒンギャの村に迫撃砲と機関銃で火を放ち、家々を燃やし、男性たちを集めて片っ端から銃殺し、女性や少女に暴行をはたらいた。
戦闘開始からわずか1か月で288の村が燃やされ、6700人の人々が殺害された。殺害された人々のうち730人は5歳以下の子どもだったと、聞き取り調査をした国境なき医師団が発表した。
なんとか生き残った人々はジャングルに逃げ込んだり、川や海に向かったりして国境を越え、バングラデシュへの入国を目指した。しかし、川や海も危険に満ちていた。人々は水辺に着くと、まずは船頭に35ドルを渡す。舟はご多聞にもれず定員オーバーだが、この舟に運命を任せるしかない。もし転覆しても、自力で生き延びるしかない。ギリシャやヨーロッパの海岸には、シリアやイラクなどから戦火を逃れ、命がけで小舟に乗ってやって来る難民らに手を差し伸べるボランティアがいたが、ここにそんな人々はいない。

 

バングラデシュの浜辺に着いた舟から降りる女性。浜辺には舟が群がっていて近づけないので、海に入って歩いて浜辺をめざす。2017年9月29日
バングラデシュの浜辺に着いた舟から降りる女性。浜辺には舟が群がっていて近づけないので、海に入って歩いて浜辺をめざす。2017年9月29日

ロヒンギャは孤独な人々だ。世界の人々は彼らが今どんな風に生きようとしているのか、あるいは死のうとしているかまったく知らないし、関心も抱いていない。  荒波が襲ってくるかもしれないし、定員オーバーで沈没するかもしれない。しかし、舟が無事に対岸に着いたとしよう。岸辺に桟橋などないし、あったとしても舟が列をなしているから、彼らは思い切って海に飛び込むしかない。そして岸まで水中を進むのだ。彼らの顔は緊張でこわばっているが、岸にたどりついた瞬間、安堵感が激情のように襲ってくる。そのまま気絶してしまう人も、大声をあげて泣き出す人もいる。

 

無事に浜辺に着いて、安堵のあまり気絶してしまった女性。2017年9月29日
無事に浜辺に着いて、安堵のあまり気絶してしまった女性。2017年9月29日

やがて気を取り直した彼らはいつものようにヒョイと所持品を頭の上に乗せて歩き出し、バングラデシュ軍の検問所に着く。ここで兵士が彼らを最寄りの難民キャンプに連れて行くことになる。そこで登録の手続きもする。
こうしてビルマからバングラデシュにたどりついた人は、8月25日からの1か月で約30万人にのぼった。
しかし、何日も耐えぬいてようやくたどり着いた難民キャンプも、天国ではない。過密状態のそこは食物も水も十分ではなく、飢えと渇きが待ち構えている。感染症も蔓延していて、老齢者や赤ん坊は、ここで力尽きてしまう者も多い。防水シートが張られただけのテントは泥だらけの丘の上に建てられ、足元はグチャグチャ。そこに、数家族が同居することになる。飲み水も体を洗う水も、雨水をためてやりくりする。トイレなどないので、水辺へ行って用をたす。何よりも、食べ物の配給を受けるのは大変だ。押し合いへし合いしながらようやく配給の長い列に並ぶ。列の両脇はバングラデシュの兵士たちが囲んでおり、警棒を振り回しながらそんなロヒンギャの人々を恫喝する。子どもは泣き叫び、男性も女性も恐怖ですくみあがる。それは、とうてい人間としての尊厳が払われているとは思えない光景だった。

 

傘を広げて雨を避ける、難民キャンプの女性。2017年9月28日
傘を広げて雨を避ける、難民キャンプの女性。2017年9月28日

母が願う子の夢

私はこれまで、トルコやシリア、ヨーロッパで多くの難民や、難民キャンプを取材してきたが、ロヒンギャほどすべての希望を失った人々を見たことがない。こうした現場で私は常にストーリーの中心になるような人物を、無意識的にでも探している。人生に立ち向かおうとしている人とか、正義を求めている人とか。ところが、ここではそのような人がまったく見当たらなかった。生き残った人から聞く話も、この世のこととは思えなかった。このような状況下の撮影は辛いものだが、とりわけ今回はそれが身に染みた。
難民キャンプで、出産したばかりの女性たち数人を撮影したとき、私は母親たちに、「赤ちゃんの将来になにを期待しますか?」と聞いた。すると彼女たちはみな、なにを聞いているのか分からないという表情を浮かべた。
私は通訳に問題があったのかと思った。しかし違った。彼女たちは、私の質問を無意味だと思ったのだ。そして質問から数分後、全員が同じ言葉を発した。
「この子が生きてさえいれば」
とてつもない悲しみが私を襲った。もし母親が生まれたばかりの赤ん坊に、ただ生きていることしか期待できない世界なら、世界はどこに向かっているというのだろう。この現代社会で、この母子たちは、まるで弱肉強食が運命の野生動物のように生きていくのか。それなら人類は、進歩などしていないのではないか。

キャンプで過ごす、ロヒンギャ難民の母親ヌル・カイダ(20歳)と生後2日目の赤ん坊。彼女はここで出産し、彼女も赤ん坊も栄養失調の状態にある。2017年10月1日
キャンプで過ごす、ロヒンギャ難民の母親ヌル・カイダ(20歳)と生後2日目の赤ん坊。彼女はここで出産し、彼女も赤ん坊も栄養失調の状態にある。2017年10月1日

数週間後に私は家に戻ったが、彼らがまだあの非人間的な場所にいると思うと苦しかった。自分の家が、居心地の悪いものに思えた。この居心地の悪さを脱するには、一人でも多くの人に私の見てきたことを伝えることしかない。彼らのように不正義を強いられている人たちがいることを、知ってもらうことだ。そして不正義が許されない世界に、この世界を一歩でも近づかせなければ。
少なくとも、生まれたばかりの赤ん坊に、母親がさまざまな未来を思い描ける世界であってほしい。

オズゲ・エリフ・キジル
フォトジャーナリスト。1985年、トルコ生まれ。トルコのアクデニズ大学で写真を学び、その後、米グロスモント大学の動画制作プログラムに参加。14年からアナドル・エージェンシー所属。タイム誌、ザ・サン紙やハフィントンポストなど国内外のメディアに多数掲載。受賞多数。

*おことわり:DAYS JAPANでは、民主化運動を制圧したビルマ軍政が変更した英語名称「ミャンマー」ではなく「ビルマ」表記としています。

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